太宰 治 だざい おさむ


太宰 治

1909-1948 / 青森県生まれ

小説家

本名津島修治(つしましゅうじ)。1930(昭和5)年、東京帝国大学仏文科に入学。1935年「逆行」が第1回芥川賞候補となり翌年『晩年』を刊行したが、芥川賞の落選や同棲していた女性との心中未遂などにより精神の不安定を生じた。1938年、山梨県御坂峠(みさかとうげ)の天下茶屋で執筆を再開。翌年、山梨県立都留(つる)高等女学校教師の石原美知子と結婚。8ヶ月間の甲府での新婚生活の間「富嶽百景」(ふがくひゃっけい)「女生徒」などを執筆。9月に東京の三鷹に転居した後もしばしば甲府を訪れ、戦中は甲府に疎開中に甲府空襲に遭遇した。戦後三鷹に戻って「斜陽」「人間失格」など戦後文学を代表する作品を発表したが、1948年6月、山崎富栄と玉川上水に入水、19日の39歳の誕生日に遺体が発見された。1953年10月、御坂峠に「富嶽百景」の一節「富士には月見草がよく似合ふ」を刻んだ文学碑が建てられた。

作家名 資料名 種別

太宰 治

「ア、秋」原稿

原稿

太宰 治

太宰治書簡

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